招待者の皆さま、私たちはいま、この素晴らしい第2回テッラ・マードレを終えようとしています。この類まれな会議の将来像を考えながら、来年に行うべき大事な決めごとについて、この機会を利用して考えてみるのがよいかと思います。そのためには、私たちが本当は誰であるのかを、確認する必要があります。
2年前に「食のコミュニティ」という用語をつくったとき、私たちは的確にコンセプトを具体化することを意識していました。生き物は食べ物なしには存在しえません。食を、私たちの生活の中心、または第一の要素として考え直すのは、当然のことかと思います。けれども、時が経つにつれて、食べ物はしだいにその中心点からずれはじめました。そして、ガストロノミーと料理技術は、食文化の真髄、まさに人生の本質であるような根源、私たちを生活のサイクルに乗せていくような重要な要素だとは考えなくなるようになり、単なる民族の習慣として捉えられるようになりました。サローネ・デル・グストに並行してテッラ・マードレをやっていこうという、常軌を逸した決定によって、世界中から250の大学の招待者、生産者、料理人およびシェフのコミュニティが集まってくれました。また、優れた食の展覧会を賛美するのと同時に、皆さんに、農業者という言葉と、彼や彼女たちの伝統的なノウハウを意識してもらうように働きかけ、ここ10年の間で壁を完全に乗り越えることができました。
じっさい、10年前には、サローネの出品者の75パーセントは商業関係者で、生産者は25パーセントにとどまっていました。 私たちはその割合を逆転させ、今では商業関係者が25パーセント、生産者が75パーセントとなっています。いろいろなことを考えて、テッラ・マードレのような倫理的で自然保護を志向する行事、そして、この行事が政治と文化を扱うということによって、サローネ・デル・グストでの出展が少なからず低下してしまうかもしれないと懸念されることもありました。けれども、この企画が数日を過ぎて後に、まさに正反対な結果が起こったという印象を持つに至りました。それはどういう意味か?市民社会のなかでさえ、生産と密接に関わること、他者とアイデアをつくりあげること、もっと発見していくこと、そして、食文化を発展させていくことが必要だということが、感じられているのだということを意味しています。
特別な雰囲気が、この会議を成功へと導いています。世界中からサローネへと20万人を集め、皆さま6,500名の招待者がここで、地球の運命、水利の権利、きれいな空気への権利、そして、私たちじしんの種の権利について討論し、成果をおさめました。みんなで理解し、それを持って、各々のコミュニティに戻ることが最も重要であると私は信じています。
文化のつくり手であるあなた方は、あなた方各々のコミュニティとも、母なる地球とも、強い関係を持っています。私たちがここでなしたように、皆さまの土地でも、共感者を捜し出してください。国に戻ってから、農業者の伝統的なノウハウと調和できるような科学機関を頼ってください。そして、あなた方と密接に関わる料理人やシェフを頼ってください。地域の人々を孤立させないようにしてください。そして、活き活きと主役を演じられるようになってください。この惑星を守っていくのは、あなた方の手のなかにあって、あなた方だけが、市場経済とは対照的な地域経済をつくりあげることができるからです。地域経済が時代遅れで古めかしいということは、正しくありません。地域経済は、強くて、信じられないほど現代的なものなのです。
経済学者や政治家たちは、地域経済が、私たちの思っている以上に、はるかに奥深いものであることを認識しなければなりません。市場経済が、地球にどんどん頼っていくという論理によって、所与の時間のなかで利益を生み出しているというのであれば、環境の面だけでなく、人間関係の面からみても、災厄にまみれているのだといえます。私たちはもはや、市民ではなく消費者であり、もはや生産者ではなく、いつも消費者に向けて物をつくっている人になってしまっています。私たちは、私たちの創造性と調和して生きてはいません。私たちは、乱作し、それを浪費して生きているのです。
それが持続的な経済であるとき、とりわけ、それが持続的な経済であるときにこそ、あなた方が、その経済を代表しているのであり、体現しているのです。そのような経済体制は、市場経済以上に、飢えを防ぐのに役立ちます。そして、そうすることで食べ物は、主役としての立場を取り戻していくのです。あなた方が行ってきた営みは、威厳と輝かしいまでの新しさに満ちています。こうした将来像に向かうための、もう一つの手段があります。食のコミュニティ。皆さんの将来のためにも、「コミュニティ」という言葉を使っていくためにすべきことを、ぜひ知って欲しいと思います。
一般的な社会は、歯車のようにきっちりしていて、はっきりとした上下関係のあるシステムですが、その一方で、ご存知のようにコミュニティは、デコボコな土の上を歩んでいるかのようです。コミュニティは、おおざっぱなやり方で構造化されているか、または全く構造化されていません。そして、それこそが私たちの力なのです!だれしも、協会や団体をここに結成しようとは考えないでください。この類のことはしてはならない!おそらく、団体・政党・協会・宗教によって示される秩序だっていて歯車のような社会と、移り変わりやすい状態を生きる民主主義的で無政府的なコミュニティの間での対話や討論、このコミュニティと社会との討論は、豊かさを生む新しい源になるでしょう。
だれしも、テッラ・マードレに秩序をもたらすような考えを持たないでください。テッラ・マードレは、まさにその本質から、自由な実体なのです。こうすることで、私たちにとって大事なことを幅広く行っていくことができます。そして、私たちがもっと楽しいと言えるほど遠くまで、向かっていくこともできます。このようなやり方をすれば、私たちは各々の創造力を使っていくことができます。独創的になることもできます。勇気を持つこともできます。新しい道程を歩むこともできます。(コミュニティにとって大事な)お互いに助け合うこともできるし、他人のために生きることもできます。権利を義務化することもできます。すべてのものの健全さについて、考えることもできます。秩序だった社会とは違って、私たちをとりまくこの環境には、競争相手もいませんし、利用者や消費者のためにすべきこともないのです。私たちに必要なものは、参加可能な「住みよい」環境であり、そういうものとして、不確実な要素を含んでいます。おそらくいつか、私たちはテッラ・マードレを管理できなくなってしまうかもしれませんが、それは重要なことではありません。
政治では弱まらないような強い結びつきがあったので、テッラ・マードレは今までのところ、本当に順調に進んできました。感情を含んだ知性の結びつきが。そして、合理的な知性で満ちている私たちの世界において、この会合が、感情と友愛に包まれていることを誇りに思います。そのおかげで、私たちのなかに、秩序だった構造は必要ではなくなります。私たちは、自由でかつ楽しんでいて、すぐにでも、自分たちの手で自分たちのための未来図を描くことができるのです。そのおかげで、私たちは素晴らしく知的な言葉を実行に移すことができるのです。「権力ではなく、少しの理解、少しの知識、そして多くの風味」によって達成していこうという、賢明な知恵を。私たち以外のだれが、地球に、より風味を加えていけるのでしょうか?食べ物の風味を!食べ物の喜びを!
招待者の皆さん。それゆえ、私たちは、他の人が不可能であることに挑戦し、他の場所では不可能なことをやり遂げられるよう、学んでいかなければなりません。驚くべきことがこの5日の間で起こっています。アゼルバイジャンの人々が、イスラエルとパレスチナの人とともに、アルメニア、イラク、レバノンの人に話しかけています。ここは、農業者、漁業者、遊牧民の空間であるこの会場は、紛争状態にはありませんでした。
中東の会合が行われたとき、最初はみなの間に、少しわだかまりがありました。数分後、イスラエル、パレスチナ、イラク、レバノンの人たちは、すべてがみな同じ家族であることに気づき、パンに塩をふるしぐさをしたのです。パンに塩をふるという、友愛を示すしぐさを!あなた方だけでなく世界中のメディアが、農業者という方々がどれだけ円満に、そして平和に生きているのかを、政府にアピールしていく第一歩。そうしたはじめの一歩を、メディアに操られている私たちが、じっさいにこの舞台の上で呼び覚ましていったのです。しかしながら、それは叶いません。レバノンやイスラエルの人々がそのようなことを、世界中から来たカメラマンやジャーナリストの目の前でしてしまうと、地元の空港に戻ったときに、喜びの歓迎を受けないからです。
じつに、次回のテッラ・マードレでは、印象的な振る舞い(ジェスチャー)ができることを願っています。なぜなら、私たちからジェスチャーを奪うことは、私たちの精神を奪うことだからです。ジェスチャーの禁止を願っている人たちよ!ジェスチャーは農村社会の支えであり、ジェスチャーによって、農村社会は素晴らしいときを過ごすことができるのです。ジェスチャーを奪う人のことを、もはや理解することができません。重要なのは、言葉ではなくジェスチャーです。どなたかはペルーのアンデス山脈の農村の片すみで、この会合への声がけを受けました。それもジェスチャーです。皆さんは、民俗の習慣という理由で、その服装をしているわけではありません。あなた方の自分じしんを示すものとして、それを着ているでしょう。それもジェスチャーです。
テッラ・マードレ2008が、ジェスチャーの自由を私たちに与えることのできるのを期待しましょう!
皆さん、ありがとうございました!