スローフードジャパン新役員から
自己紹介とメッセージ(2011.01.31)

新生 スローフード・ジャパン マニフェスト(word-35kb)

楽しく、かつ責任を伴った“世界運動”スローフードを共有していくために(word-42kb)

  会長 後藤 毅(ごとう・つよし) スローフードあいち

〜 スローフードあいち 後藤 自己紹介とごあいさつ 〜

年末に理事会内で選挙があり、会長1名、副会長3名、監事2名が選出されています。
まだその結果についてご存じない方もいらっしゃるかと思います。

「どんな方針を示して選ばれ、何をしたいと思っているのか」
「スローフードについてどんな活動をしてきたのか」
についても同様かもしれません。

次期会長/副会長就任予定者の間で話し合った結果、八戸での総会開催の前に、簡単な自己紹介とメッセージ、今後についてやってみたい事をお伝えしておく事にしました。
現時点で差し支えない範囲までですが、以下お読みいただければうれしいです。
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私後藤は、これまでスローフードあいちの事務局長をしながら、昨年より『中部甲信越ブロック』選出理事として理事会に参加をしてきました。
また専門チームとしては『事務チーム』に所属し、主にWEBサイトリニューアルのプロデュースを担当しました。
(その節は、皆様に大変ご協力いただき感謝しています。ありがとうございました。)

スローフードあいちにおいては、これといって誇れる活動、特徴的な活動がある訳ではありませんが、秋山女史とともに、昨年アルカ認定された大高菜や伝統野菜の調査を担当してきました。
まだまだ小さな活動ですが、1年ほど前からスローフードあいち会員でパン教室の講師である家内と一緒に、米粉の普及促進活動にも取り組んでいます。

その他あいち副会長である吉岡氏が南知多町で行っている有機無農薬栽培の農園で収穫したお野菜を食したり、他のイベントで使ったり、たまに手伝う事を楽しんでいます。

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プライベートにおいては41歳、2児の父親です。
上の子はこの春から中学生、下の子は小学3年生になります。

地元は名古屋で、私立の高校を卒業後、地方の公立大学に進みました。
事情があり丸2年で退学した後、東京で利殖関係の会社に就職し、途中オフィスサービス関連の会社に転職しましたが、どちらの会社でも楽しく過ごさせていただき、人生の糧になっています。

サラリーマンを辞め10年前にWEBサイトの制作と管理更新代行の事業をスタートし、クライアントとスタッフ、ツールに恵まれ今まで何とか存続してきました。

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30代の後半で、ひょんなきっかけで知る事になったスローフードが、ここまで深く自分の人生に影響を与える事になるとは想像していませんでした。

私の場合、アルカの考え方が大きく影響しています。
実家が和裁業を営んでおり、親不孝にしてその家業を継ぐことはありませんでした。
和裁業自体、一時の隆盛はすでに無く、今後は伝統産業としてどう生き残るか?という点がテーマになっています。

「そのままにしておけば滅びてしまう可能性があるもの」に対してのアプローチは、ジャンルを超えて自分の中で気になる事でもあったので、アルカの選考基準には自然に興味が沸きました。

地元の伝統野菜を少しづつ調べていくうちに、それを作っている方、守ろうとしている方たちとお話を聞かせていただく機会が増え、スローフード協会の方々からアドバイスをいただく機会も多くなり、自然とアルカ以外のスローフードの世界についても(まだまださわりだけですが)知る事ができました。

人生の楽しい先輩も多く、スローフードの世界でご面識いただいた方々との繋がりは、今ではスローフードの世界を超えて、自分にとって大事なものになりつつあります。
スローフードが良質な「ネットワーク」であり、「コミュニティ」でもあり、触れるものを幸せにしてくれる存在であると、上記のような出会いがある度思います。

それは本来、全会員が自然に享受できる「スローフードからの恩恵」であるべきだと思います。

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ここまででお気づきでしょうが、私自身はこれといって特徴の無い、全く平凡な人間です。
選挙の際に提示した
・「コンパクトでフラットであり、かつ出来る限り公平なスローフードジャパン」
・「地方主義」かつ「会員第一主義」
という方向性を、複数の理事の方々に共感していただいた結果、今に至っています。

裏を返せば、本来当たり前に存在しているべき上記が、実感しにくくなったり、別の事項が優先したりしていた、という状態があったのだと思います。
その状態は誰かのせいで生み出された訳ではなく、一部構造上の問題があったのだと考えています。
またそのせいで、本来楽しく語られ、新たな繋がりを生み出すことができたかもしれない『日本のスローフードの中身』が多少おざなりになっていたとも考えています。

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今後
・『日本のスローフードの中身』を皆で楽しく考える機会を作ろう
・上記実現の為にも『スローフードジャパンの仕組み』をコンパクトで、フラットで、出来る限り公平にしていこう
と副会長就任予定者の方々とは話しています。

プロフィールでもお分かりいただけると思いますが、副会長就任予定の方々はスローフードへの造詣が深く、今回の文章作成も主導していただいた、優秀な方たちです。
また理事の方たちはスローフードのみならず、社会や人生に対しての見識、モチベーションともに高く、私は折に触れその方々からさまざまな事をご教授いただいています。

その為、自分一人で気負って何かを宣言したり、実行したりする必要は全く無いと考えています。

今回の改革は理事の方々だけでなく、会員の皆様のご理解とご協力を必要とします。
『日本のスローフード』を全会員がより楽しめるよう、少しだけ、見知らぬ会員の方の気持ちを考える時間を持っていただけるとうれしいです。
これは自省もこめて、そう思います。

今の段階で具体的に何かが決まっている訳ではありませんが、理事会を経て皆様に発信できることが今年は増えると思います。

その報告を、楽しみにしてください。
それでは今後とも、よろしくお願いいたします。

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副会長 石田雅芳(いしだ・まさよし) スローフード秋田

福島市の醤油醸造の技術者を父に、食品化学の講義を聞きながら食事をする家庭で育ったおかげで、まったく違った分野に進むことに。

京都で美学と芸術学を専攻し、ロータリー財団の奨学生としてフィレンツェ大学の美術史学科で研究を続ける。

そのうちイタリア にすっかり惚れ込んで計13年もの間滞在する。
2002年から2007年まで、スローフード協会本部の日本担当として、日本のスローフード運動のスーパーバイザーをつとめる。
元副会長ジャコモ・モヨーリとのコンビで日本中で講演活動。
「スローフード・マニフェ スト」木楽舎 を金丸弘美と共著、「スローフードの奇跡」 三修社を翻訳。


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副会長 佐々木俊哉(ささき・としや) スローフードすぎなみTOKYO

1963年、東京都出身。親のルーツは秋田。
都立両国高校卒、同校卒先輩に芥川龍之介、堀辰雄、立原道造がいることを知り感激し、詩を書き始める。
早稲田大学大学院ロシア文学専修修士課程修了。卒論も修論もテーマは帝政ロシア時代の貴族家庭に生まれ革命とともに亡命を余儀なくされた作家ナボコフ(『ロリータ』の作者)。

1990年〜91年まで1年半、ロンドンに在住、精神薄弱者施設にて住込み勤務。この経験が人生に大きな影響を及ぼす。
帰国後、今日まで、昭和13年から続く企業経営者団体・清話会にて機関誌編集とセミナー・コーディネートを手がける。関わったセミナー数、約800回。

一方で、1993年から住み始める杉並区での活動を徐々に始め、NPOコミュニティ・サポーターズ理事を務める。

2000年「荻窪アート楽市楽座」主催、その中でマイバック・デザイン・コンテスト開催。それが縁で、2001年からNPOすぎなみ環境保全フォーラム副理事長を務める。

一方で1999年からCAMUNet(代替医療利用者ネットワーク)運営委員。その中で出会ったテーマがスローフードだった。

2002年、新宿パークタワーで開催のスローフード立ち上げ大会に島村菜津さんから誘われ参加。同年8月にスローフードすぎなみTOKYOを設立、代表を務める。

2005年〜07年スローフードジャパン食育委員長。2010年〜スローフードジャパン理事。
著書に『スローフードすぎなみTOKYO宣言!』(彩流社、2008年)。詩集に『雨のまち
』(沖積舎、1987年)『Metamorphose 1996』(hyperhyper、1996年)がある。


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  副会長 笠原健一(かさはら・けんいち) スローフードとちぎ

http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/265.html(外部リンク)
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