基調講演
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■食品のクオリティー

 食の工業化に対抗するための第1は、”食品のクオリティー(価値)を追求する”ことです。その食品に「クオリティーがある、ない」と私たちは言いますが、食品のクオリティーは何で規定されているのでしょうか。
 食品のクオリティーを規定するものには3つのファクター(要素)があります。その1つは、味覚的なクオリティーです。おいしくなければいけない。しかし、注意しなければいけないのは、「おいしい」というのは、それぞれの人が持つ文化によります。北海道の人たちがおいしいと思っていても、沖縄ではそうではないこともあります。
 ですから、食品のクオリティーは、それを作った人の文化を尊重しながら、それが生まれた場所で計られるべきです。それによって感覚的に、味覚的に、文化的に、その土地において「これはクオリティーの高い食品だ」と規定できます。
 日本の食材は、日本人にとっておいしいものでなければならない。もし、イタリア人がそれを食べて「おいしくない」と言っても、「日本人にとっておいしければいい」と考えていいのです。”誰が食べてもおいしいと言うもの”を考えようなんて、馬鹿げています。多様性がなければいけない。その土地の、その国の人たちの味覚を尊重すべきです。これはマクドナルドが理解できなかったことです。彼らは自分たちが作るハンバーガーは、イタリア人、エスキモー、アフリカ人など、誰が食べたっておいしいと言うと思っているのです。これを「文化帝国主義」と呼ばせていただきます。世界中で食べているこの肉団子は山のように存在します。

■環境のクオリティー

 このように食品のクオリティーは、”食品が生まれた場所の味覚に倣う”ことが重要です。次に食品のクオリティーにおける第2のファクターです。食品生産が環境を壊してはいけない、生態系を保護しなければなりません。この数年間で私たちは母なる大地を疲弊させ、毒を蔓延させました。そして、病気にならないように薬を与えてきました。これによって土地は荒廃していきました。そんな生産物はもうおいしくはない。皆、味の無い物を食べ続けるわけです。
 それは何故か? 土地が荒廃してしまったからです。環境を尊重しなければ、食品の価値は実現されません。「環境を守る」とは、その土地で生きているもの全てを保護していくことです。例えば、もし動物が悪い飼料を食べれば、悪いミルクが出て、悪い肉が供給されます。
 最も許せないのは、羊から採取した肉骨粉を成長促進剤として牛に与えることを考えた恐ろしい人間です。牛たちは本来牧草地の草を食べなければいけないのですから……。しかし、このような考え方は大学の研究機関から生まれたりします。大学はお金の悪魔に魂を売ってしまいました。動物を肥育するために羊を粉にしたものを牛に食べさせた結果、最後に牛は狂ってしまいました。これは牛が狂ったのではなく、人間が狂っているのです。皆、犯罪者です。
 これらの犯罪者を引き留めなくてはいけない。そして犯罪者たちはまだまだ水面下で働いています。食品に化学合成で作られた香料を加えています。香料は味覚を向上させるための薬品です。色を付け、保存料を入れ、化学薬品を入れ、それを私たちは食べています。これは先程私が言った「工業化された食」「金儲けのための食」にあたります。
 しかし、自然は母です。母親を粗末に扱うことは許されません。呪われます。その呪われた人々は病院で見かけることができます。伝染病の蔓延、肥満という形でも現れます。子どもたちが調和の中で暮らすことは、もうできません。神経質な雰囲気の中で暮らしています。人々は皆がそわそわし、神経質になっています。これに食品が関係しているのかどうか分かりません。ですが、何かうまく行っていない雰囲気が漂っています。
 もし、環境の中にクオリティーが無ければ、食品のクオリティーは達成されません。環境のクオリティーは、その土地の風景のクオリティーでもあります。

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