『愛』がないのか

 昨年の3・11以来、安心して生きる意味が問われているのに・・・。
あれから1年経ったばかりで、苦しんでいる人たちが大勢いるのに・・・。
収束にはまだまだ時間がかかるのに・・・。

今年の5月5日に、日本の全原発が稼動を中止し、あらためて原発に頼ることのない暮らしの
可能性をみいだしているのに・・・。
あっというまに、大飯原発の再稼動が決まってしまう。

智恵や工夫で、何とかなると感じる私たち一般生活者と、
電気に頼る産業がなくては、経済が疲弊してしまう、と
声高に叫ぶ経済界と政治家たちとの違いはどこにあるのだろうか?

命を大切にするより、お金が大事?!
確かにお金がなくては不安もある。
だがそれと引き換えに愛するモノたちの命をないがしろにすることはできない。
日本人の誰もが、『絶対安心』はありえないことを思い知っているのだから。

この1年~、まずは身近なことに、関心を持つことから始めている。
忙しさのあまり、他のことには無関心のままでいたら、今までと同じ。
確かに疑問を持つことすら少なくなっていた。
目に触れるニュースを鵜呑みのまま、惑わされてきた。
どこで何が起こっているのか?それはどういうことなのか?

誰かが安心で幸せにしてくれる人生を与えてくれるのではない。
今の自分の選択が未来を作っていく。
「知らなかった」ではすまない。「無関心の悪」をここでも続けていたら、
これまでの多くの犠牲に何といって詫びたらいいのだろう?
未来がある子どもたちに、何といって謝ったらいいのだろう・・・?


カテゴリー: 優子のいろいろノート
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